仕事やプライベートで時として「我慢」をする場面がある。一方、我慢にも使い方というものがある点には注目しておくべきだろう。

「努力は必ず報われる」といった我慢を助長する言葉や「我慢は美徳」と考える日本人は多いものだが、必ずしも自制することがよいと私は思えないのだ。

そこで、我慢がなぜ美徳とされるのか、我慢を使うべきシーンとは、について私の観点からお伝えしていこう。

なぜ我慢が美徳なのか

「我慢をよし」とする問いかけは、非常に難しい問いでもある。

日本人は海外に比べると、我慢をよしとする文化が根付いているように思う。これを平等社会という視点で考えれば、多少聞こえは良いかもしれないが物事には「状況」というものがある。やはり、一概に我慢をよしする考えは喜ばしいものではないのだ。

例えば、業務や会議では、現在の状況を報告したり、意見を発したりする場でもある。

そのようなときに、周囲に合わせて、いいたいことを抑えてしまっては本末転倒といえる。また、ミスをしてしまった場合も、自分のミスを周囲に知らせず解決しようとする行為や、納期に間に合いそうにない仕事とわかっていて、残業なり休憩時間を割くなりするのも、1つのやせ我慢にもなりえるだろう。

とはいえ、時として我慢するほうが後の生活でプラスに影響することもある。学習が良い例だろう。新しい物事を理解するには、それなりに時間がかかるというもの。

学習のテーマによっては、理解に苦しむことも珍しくなく、私を含めてその場から逃げ出したい気持ちになる人も多いものだ。しかし、後から「やっておいてよかった」という気持ちを得た人もいるだろう。

そう考えると、我慢は必ずしもメリットに働いたり、デメリットに働くわけではなく、状況によって使い分けが必要とするほうが正しい見方といえる。

我慢を減らしたら楽になった

我慢については上述した通り、「我慢」の使うポイントを見極めが重要だといえる。

私自身、幼い頃は我慢を良くするタイプであった。理不尽な場面に遭遇しても、「なぜ?」と疑問に思うこともあったが、我慢をすればその場がしのげるという理由から、我慢が私の習慣になっていたのかもしれない。

社会に出て数年間はその考え方正しいと思っていた。しかし、ある日に、仕事上の悩みを私に話していたとき、兄が「我慢するならその理由を考えろ」と、アドバイスをくれた。

その言葉が、私の気持ちをサポートしたのだと思う。職場でストレスを抱えることも減り、ふだんの生活でも、我慢をする場面なのか判断がしやすくなったのだ。

自分を信じること

時代は、時と共に変化するもの。それに伴って既存の価値観や状況は変化していくものだ。そう考えると、人生をよりよく生きるためには、すべて我慢をすべきではないのだ。

可能性は無限といわれているが、時間は有限なのだ。

現在なにが必要か、将来なにを必要とするのかを考慮し、自分の楽しいと思える生き方を貫いて我慢の使い分けをしてほしいと切に願っている。